サンクトペテルブルク
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| サンクトペテルブルク Санкт-Петербург |
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|---|---|---|---|---|---|
|
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| 愛称 : Piter | |||||
| 位置 | |||||
| 座標 : 北緯59度56分 東経30度20分 / 北緯59.933度 東経30.333度 | |||||
| 歴史 | |||||
| 建設 | 1703年5月27日 | ||||
| 行政 | |||||
| 国 | |||||
| 連邦管区 | 北西連邦管区 | ||||
| 行政区画 | サンクトペテルブルク連邦市 | ||||
| 市 | サンクトペテルブルク | ||||
| 市長 | ワレンチナ・マトヴィエンコ | ||||
| 地理 | |||||
| 面積 | |||||
| 市域 | 1431km2 | ||||
| 標高 | 3 ~ 175m | ||||
| 人口 | |||||
| 人口 | (2008年現在) | ||||
| 市域 | 4,568,047人 | ||||
| その他 | |||||
| 等時帯 | モスクワ時間 (UTC+3) | ||||
| 夏時間 | モスクワ夏時間 (UTC+4) | ||||
| 郵便番号 | 190000 - 199406 | ||||
| 市外局番 | +7 812 | ||||
| ナンバープレート | 78, 98 | ||||
| 公式ウェブサイト : http://eng.gov.spb.ru/ | |||||
サンクトペテルブルク(ロシア語: Санкт-Петербург サンクトピチルブールク、IPA:[sankt pʲɪtʲɪrˈburk]
発音)は、ロシアの都市、レニングラード州の州都である。かつてロシア帝国の首都であった。第一次世界大戦以降(1914年-1924年)はペトログラード(Петроград)、ソ連時代(1924年-1991年)はレニングラード(Ленинград リニングラート)であった。
目次 |
[編集] 地理
ロシア西部、バルト海のフィンランド湾最東端、ネヴァ川河口デルタに位置する。ロシア有数の港湾都市であるとともに、鉄道・国際航路の要衝でもあり、モスクワに次ぐロシア第2の都市である。行政上はモスクワとともに連邦市を形成しており、ロシア連邦を構成する83連邦構成主体のひとつとなっている。
市街はネヴァ川河口デルタの島々と両岸に広がり運河網が発達し、バルト海において重要な港市の位置をしめる。ネヴァ川は運河や河川などにより、白海、ドニエプル川、ヴォルガ川と結ばれているため、この都市はカスピ海やウラル、ヴォルガからの船舶のバルト海への出口となっている。港は冬季である11~4月に凍結してしまうが、厳寒期を除いて常に砕氷船が航路を維持している。また、市中心部に運河が縦横に巡る美しい街並みを有することから、「北のヴェネツィア」と称されることもある。
[編集] 歴史
[編集] 名前の変遷
都市の名は「聖ペテロの街」を意味する。これは、建都を命じたピョートル大帝(ラテン語でペテロ)が自分と同名の聖人ペテロの名にちなんで付けたもの。隣国フィンランドではサンクトペテルブルクを、ペテロのフィンランド語名そのままにピエタリ(Pietari)の名で呼んでいる。
当初はオランダ語風にサンクト・ピーテルブールフ(Санкт-Питер-Бурх)後にドイツ語風にサンクト・ペテルブルク(Санкт-Петербург)と呼ばれるようになる[1]。ロシア帝国の首都として長く定着していた。
第一次世界大戦でロシアがドイツと戦争状態に入ってからロシア語風にペトログラード(Петроград、1914年から)[2]と改められ、さらにソビエト連邦時代にはレーニンにちなんでレニングラード(Ленинградリニングラート、1924年から)[3]と改称され、この名称が半世紀続いた。
しかしソ連崩壊を受けて、1991年に住民投票によってロシア帝国時代の現在の名称に再び戻った。ロシア人の間ではピーテル(Питерピーチェル)の愛称で呼ばれる[4]。州名は従来どおりレニングラード州となっている。
[編集] 都市の歴史
ピョートル大帝によって1703年5月27日(グレゴリオ暦。当時のロシアで使われていたユリウス暦では5月13日)に築かれた人工都市であり、モスクワとサンクトペテルブルクは母性と父性として対比されることもある。その背景としては、モスクワが「大地信仰」を根底とするロシア(「母なる大地、母なるロシア」という表現が用いられる)を象徴する土着の都であったのに対し、ペテルブルクは西欧に倣って「人工的」に建設された西欧的・キリスト教的な父性支配を象徴する都と考えられる、ということがある[要出典]。
大北方戦争の過程で、スウェーデンから奪取したバルト海・フィンランド湾沿岸のイングリアに新都として造営された。河口付近には、ペトロパヴロフスク要塞も同時並行で建設されるなど、建造作業は過酷なもので、多くの人命が失われた。その数は1万とも言われる。
ロシア革命では二月革命・十月革命の2つの革命の中心地となり、武装蜂起によるボリシェヴィキの政権奪取やレーニンによる憲法制定会議の解散が起こった。その後、ソヴィエト政権は首都をモスクワに移転し、1922年に正式に定められたことで、この町は政治の中心地から外れた。
ロシア・フィンランドの国境に近い為、スターリンはフィンランドに対して「大砲の射程内の地域」の割譲を要求したが、フィンランドはこれを拒み、1939年の冬戦争が勃発。フィンランドは善戦したが、結局翌1940年、当該地域の割譲で講和がなされ、この戦争が中立的であったフィンランドの枢軸陣営参加を招いた。第二次世界大戦中は、フィンランド、ドイツ両軍を基幹とする枢軸軍によって約400日にわたる包囲を受けた(レニングラード包囲戦)が、凍結した湖から細々と物資輸送を行うなどして耐え抜いた。
戦後もレニングラードはソ連第2の都市として存在したが、その歴史的経緯からモスクワとは違った文化や風土を維持した。また、レニングラードの共産党第一書記になることは、ソビエト体制の中で重要な位置を占めることと同義であり、クレムリンでの権力ゲームでも影響力を持つことになった。とはいえ、革命以降サンクトペテルブルク出身の人物がロシアのトップまで登り詰めたのはウラジーミル・プーチンが初めてである。
1998年に周辺の8市17町(ツァールスコエ・セローがあるプーシキン市やクロンシュタット等)を編入し、市域が拡大した。
2008年5月に首都モスクワから憲法裁判所が移転し、サンクトペテルブルクはロシアの首都機能の一部を担うこととなった。
[編集] 気候
ケッペンの気候区分では亜寒帯の湿潤大陸性気候(Dfb)に属する。
| サンクトペテルブルク(1971 - 2000)の気候 | |||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
| 最高気温記録 °C (°F) | 8.6 (47.5) |
10.2 (50.4) |
14.9 (58.8) |
25.3 (77.5) |
30.9 (87.6) |
34.6 (94.3) |
34.3 (93.7) |
33.5 (92.3) |
30.4 (86.7) |
21.0 (69.8) |
12.3 (54.1) |
10.9 (51.6) |
34.6 (94.3) |
| 平均最高気温 °C (°F) | -3.6 (25.5) |
-3.3 (26.1) |
1.8 (35.2) |
8.5 (47.3) |
15.6 (60.1) |
20.2 (68.4) |
22.2 (72) |
20.2 (68.4) |
14.4 (57.9) |
8.1 (46.6) |
1.8 (35.2) |
-1.7 (28.9) |
8.8 (47.8) |
| 日平均気温 °C (°F) | -6.1 (21) |
-6.0 (21.2) |
-1.4 (29.5) |
4.4 (39.9) |
10.9 (51.6) |
15.8 (60.4) |
18.1 (64.6) |
16.4 (61.5) |
11.0 (51.8) |
5.6 (42.1) |
-0.1 (31.8) |
-3.9 (25) |
5.4 (41.7) |
| 平均最低気温 °C (°F) | -8.8 (16.2) |
-8.8 (16.2) |
-4.2 (24.4) |
1.0 (33.8) |
6.6 (43.9) |
11.8 (53.2) |
14.4 (57.9) |
13.0 (55.4) |
8.1 (46.6) |
3.4 (38.1) |
-2.1 (28.2) |
-6.4 (20.5) |
2.4 (36.3) |
| 最低気温記録 °C (°F) | -35.9 (-32.6) |
-35.2 (-31.4) |
-29.9 (-21.8) |
-21.8 (-7.2) |
-6.6 (20.1) |
0.1 (32.2) |
4.9 (40.8) |
1.3 (34.3) |
-3.1 (26.4) |
-12.9 (8.8) |
-22.2 (-8) |
-34.4 (-29.9) |
-35.9 (-32.6) |
| 降水量 mm (inches) | 40 (1.57) |
31 (1.22) |
35 (1.38) |
33 (1.3) |
38 (1.5) |
64 (2.52) |
78 (3.07) |
77 (3.03) |
67 (2.64) |
65 (2.56) |
56 (2.2) |
49 (1.93) |
633 (24.92) |
| 出典: Pogoda.ru.net[5] 2009-02-08 | |||||||||||||
[編集] 行政
[編集] 行政区
サンクト・ペテルブルクには、18の行政区が設置されている。
- アドミラルチェイスキー区(Admiralteysky)
- ワーシリエオストロフスキー区(Vasileostrovsky)
- ヴィボルグスキー区(Vyborgsky)
- カリーニンスキー区(Kalininsky)
- キーロフスキー区(Kirovsky)
- コルピンスキー区(Kolpinsky)
- クラスノグヴァールジェイスキー区(Krasnogvardeysky)
- クラスノセルスキー区(Krasnoselsky)
- クロンシュタットスキー区(Kronshtadtsky)
「クロンシュタット」を参照
- クロートヌィ区(Kurortny)
- モスコフスキー区(Moskovsky)
- ネフスキー区(Nevsky)
- ペトログラードスキー区(Petrogradsky)
- ペトロドヴォレツォヴヌイ区(Petrodvortsovy)
- プリモルスキー区(沿海区)(Primorsky)
- プーシキンスキー区(Pushkinsky)
- フルンゼンスキー区(Frunzensky)
- ツェントラーリヌイ区(中央区)(Tsentralny)
[編集] 経済
サンクトペテルブルクはロシアを代表する港湾工業都市である。造船業を初めとして、電気機器、工作機械・工具類、農業機械、化学工業、製紙、家具、繊維・衣類、食品加工、タバコ、皮革などの工業が発達している。
[編集] 文化
[編集] 文学
サンクトペテルブルクは、ピョートル大帝による建都以来ロシア最大の文化都市として発展してきた。そのため、特に帝政時代にはこの都市を舞台に多くの文化人が活動し、詩や小説などの題材としても扱われてきた。『青銅の騎士』を物した詩人で作家のアレクサンドル・プーシキン、いわゆる「ペテルブルクもの」を物したウクライナ出身の作家ニコライ・ゴーゴリ、『罪と罰』を物したフョードル・ドストエフスキーなどがその代表である。また、イワン・ツルゲーネフの作品にも描かれるように帝政時代のモスクワはひどい「田舎」扱いされており、ペテルブルクで活躍することこそがエリートの絶対条件であると看做されていた。音楽家や画家もペテルブルクで活動するのが基本であり、特に帝政末期ペテルブルク以外で活動するようになった芸術家の一派は「移動派」と呼ばれた(ペテルブルク以外を巡業する派ということ)。こうしたことから、ペテルブルク人は文化意識・水準が高いという誇りを持っているとされている。
[編集] 音楽
- サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団(旧レニングラード・フィル)
- エフゲニー・ムラヴィンスキーが指揮していた時代には、世界有数の実力を誇るオーケストラと言われた。
- 20年間に渡り音楽監督を務めているヴァレリー・ゲルギエフのもと、現在のロシアで最も評価の高いオペラハウスに成長。オペラ・バレエだけでなくコンサート(同劇場管弦楽団として)においてもレベルの高い演奏を続けている。
[編集] マスメディア
- 新聞
- ヴェースチ(日刊) - レニングラード州最大の新聞
- サンクトペテルブルクスキエ・ヴェードモスチ - サンクトペテルブルク市最大の新聞
- ノーヴァヤ・ガゼータ(月水に発行)
- コムソモーリスカヤ・プラーヴダ・ペテルブルク(日刊)
- セントピーターズバーグ・タイムズ(英語紙、週2回)
- テレヴィディェールニエ・ラジオ(週刊、テレビ・ラジオ番組専門)
など
- テレビ
など12チャンネルくらいがある。
- ラジオ
がある。
テレビとラジオの番組表は土曜日の「ヴェースチ」紙、「テレヴィディェールニエ・ラジオ」週刊誌などに、翌週(月〜日)のを載せている。
[編集] スポーツ
[編集] 観光
サンクトペテルブルクの観光名所の多くがユネスコの世界遺産に登録されている。サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群を参照のこと。
[編集] 美術館
[編集] 教会・寺院・修道院
[編集] その他の建造物
- サンクトペテルブルクテレビタワー
- タヴリーダ宮殿
- ペトロパヴロフスク要塞
- マリインスキー宮殿
- マリインスキー劇場
- クンストカメラ
- エカテリーナ宮殿(ツァールスコエ・セロー)
- ピョートル大帝の夏の宮殿(ペテルゴフ)
- 青銅の騎士
- ペトロフスキ・スタジアム
- ニコラエフスキー宮殿
- 巡洋艦アヴローラ
[編集] 教育
[編集] 大学
詳細は「en:List of higher education and academic institutions in Saint Petersburg」を参照
歴史ある、多数の高等教育機関がある。例えば
- サンクトペテルブルク国立大学(1724年創立)
- ワガノワ・ロシア・バレー学院(1738年)
- サンクトペテルブルク美術大学(1757年)
- サンクトペテルブルク国立鉱山大学(1773年)
- ロシア国立教育大学(1797年)
- サンクトペテルブルク工科大学(1828年)
- サンクトペテルブルク音楽院(1862年)
- サンクトペテルブルク国立医科大学(1897年)
- サンクトペテルブルク舞台芸術学院(1899年)
- サンクトペテルブルク国立医学院(1907年)
- サンクトペテルブルク財政・経済学大学(1930年)
[編集] 交通
[編集] 空港
[編集] 鉄道
サンクトペテルブルクには5つのターミナル駅があり、列車の目的地が駅名となっている。
- モスクワ駅 (モスクワ、シベリア、クリミア地方、カフカス地方)
- ヴィチェプスク駅 (バルト三国、ベラルーシ、東ヨーロッパ諸国)
- バルチック駅 (同上)
- ラドジスキー駅 (ラドガ湖、ヘルシンキ、ムルマンスク)
- フィンランド駅 (ヘルシンキ)
エレクトリーチカ(近郊電車)もこれらの駅で発着する。
鉄道でフィンランドからモスクワへ向かう場合、サンクトペテルブルクのフィンランド駅に到着し、市内を地下鉄、バス、タクシーなどで移動してモスクワ駅からモスクワへ向けて出発、モスクワのレニングラード駅に到着することになる。
[編集] 地下鉄
市内ではサンクトペテルブルク地下鉄が運行されており、2009年現在5路線62駅が存在する。
[編集] 道路
市内の道路は広く設計されていて、舗装状態もいい。乗合バス、マルシュルートカ(小型乗合バス)、トロリーバス、路面電車の運行も行われている。タクシーは駅、空港周辺近く以外は比較的少なく、街頭では私設タクシーが横行している。
自動車専用道路はサンクトペテルブルク環状道路が、その西南部分およびフィンランド湾のクロンシュタット島から南岸への部分以外は、ほぼ完成しており、最近誘致した外国企業の工場はほぼこの環状線に沿って配置されている。 [6] サンクトペテルブルクから他都市への道路は、M10幹線道路(モスクワへ、欧州自動車道路網のE105号線の一部)、M11幹線道路(エストニア国境へ、同E20号線の一部)、M18幹線道路(ムルマンスクへ、同E105号線の一部)などがある。モスクワへの道路も自動車専用道路がまだなくて、通常道路(M10幹線道路)で、ノヴゴロド州に入る近くまでは片側2車線で、その後は片側1車線でときどき追い越し車線もある状態となる。
[編集] 近郊の都市
以下は少し遠くなるが、日帰り旅行地として頻繁に観光バスが出ている。
[編集] 姉妹都市
[編集] 双子都市
英語での名称が同一のため、「姉妹都市」でなく「双子都市」(Twin city)提携をしている。なお、セントピーターズバーグの市名はサンクトペテルブルク出身のロシア人移民が故郷にちなんでつけたものである。
[編集] 標準時
この地域は、モスクワ時間帯の標準時を使用している。
時差は通常はUTC+3時間で、夏時間はUTC+4時間である。
[編集] ギャラリー
[編集] 脚注
- ^ これはあくまで「ドイツ語風のロシア語名」であって、ドイツ語名ではない。ドイツ語ではSankt Petersburgであり、古典的発音の場合はザンクト・ペーテルスブルク、現在の口語発音ではザンクト・ペータスブルクと呼ばれる。最初の音が濁らず、「ブルク」の前に「ス」の入らないСанкт-Петербург(ラテン文字表記:Sankt-Peterburg)は、ドイツ語名がロシア語化したもの。
- ^ ドイツ語風の「ブルク」を、ロシア語風(厳密には古代教会スラヴ語風)の「グラード」に変更したもの。意味は同じになる。
- ^ 「レーニンの町」という意味。
- ^ 不況の今、ソ連文化の良さに注目が集まる(JBpress)
- ^ "Pogoda.ru.net" (Russian). 2009年2月8日閲覧。
- ^ 大前研一『ロシア・ショック』(講談社、2008)
[編集] 関連項目
- 交響曲第7番「レニングラード」
- 潜水艦「サンクトペテルブルク」(ロシア海軍の潜水艦)
- バルチック艦隊
- KAN(日本のシンガーソングライター、持ち歌に「サンクト・ペテルブルグ~ダジャレ男の悲しきひとり旅~」がある)
- サンクトペテルブルクのパラドックス (数学の問題)
[編集] 外部リンク
- 政府
- サンクトペテルブルク市 公式サイト(日本語版)
- サンクトペテルブルク市 公式サイト (ロシア語)(英語)
- 日本政府
- 在サンクトペテルブルク日本国総領事館 (日本語)
- 観光
- その他
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