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パレ・ド・トーキョー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
パレ・ド・トーキョー

パレ・ド・トーキョーPalais de Tokyo)は、フランスパリ16区セーヌ川右岸)にある美術館2002年1月開館。現代美術、コンテンポラリー・アートが中心であり、絵画彫刻インスタレーションデザインファッションビデオアート映画文学コンテンポラリー・ダンスなどの展示・上演が行われている。

セーヌ川に面した建物全体もパレ・ド・トーキョーと呼ばれる。市が所有する東翼にはパリ市立近代美術館1961年開館)が入居し、現代美術の展覧会を企画するギャラリー「パレ・ド・トーキョー / 現代創造サイト」(Palais de Tokyo / Site de création contemporaine)は国が所有する西翼に入居する。

セーヌ川沿いのケ・ドビリー(Quai Debilly、ドゥビリ河岸)は1918年に「東京通り」(Avenue de Tokio)と改名されたが、これに面して立つことからパレ・ド・トーキョーと呼ばれるようになった(ドゥビリ河岸の名は、付近のドゥビリ橋とドゥビリ港に残る)。東京通りは第二次世界大戦末期の1945年2月26日に「ニューヨーク通り」(Avenue de New-York)に改名されたが、建物の通称はそのまま残った。1997年5月14日にはセーヌ川やニューヨーク通りと反対側の、プレジダン・ウィルソン通り(Avenue du Président Wilson)に面したパレ・ド・トーキョー前の広場が「東京広場」(Plaza de Tokyo)に改名されている。

[編集] 歴史

パレ・ド・トーキョーのカフェテリア。台湾のアーティスト、マイケル・リンの内装
館内のインスタレーション風景。広い天井をもち様々な展示に対応する

この建物の場所にはタペストリーを製造するサボンリー工場(Manufacture de la Savonnerie)があったが1826年にゴブラン工場に統合移転し、以後軍用地となっていた。

19世紀以来、同時代美術の展示をしてきたリュクサンブール美術館が1930年代には手狭となり、その後のパリ市政府による近代美術館建設計画が挫折したため、フランス政府が近代美術館の建設に乗り出した。ル・コルビュジエらを退け建築設計競技に勝利したのはJean-Claude Dondel、 André Aubert、 Paul Viard、 Marcel Dastugueらのグループで、噴水を中央に二つの棟が対称に並ぶ形状であり、ガラスの天井からは外光が差し込む明るい展示室を備え、有名な彫刻家らによるブロンズ像やレリーフで飾られているが、計画にあった上層階の会議室などは実現しないまま終わった。

パリ万国博覧会に合わせて1937年5月24日アルベール・ルブラン大統領により「近代美術宮殿」(Palais des Musées d'art moderne)として落成し、万国博会期中はフランス美術の20世紀に至る歴史を概観する展覧会が行われた。1940年からは東翼でパリ市の収蔵品が展示され、1942年から西翼で国立近代美術館が開館した(開館式は戦後の1947年に行われた)。第二次世界大戦中、地下室はユダヤ系市民から没収された資産の倉庫に使われている。

エッフェル塔から見下ろしたパレ・ド・トーキョー。左側(西翼)が「パレ・ド・トーキョー / 現代創造サイト」、右側(東翼)がパリ市立近代美術館

1961年には東翼に、プティ・パレ(パリ市立美術館)からのコレクションも合わせてパリ市立近代美術館が開館したが、1977年ポンピドゥー・センターに国立近代美術館が移転すると西翼は遊休施設となり、臨時の美術展会場として使用された。国立現代美術基金は1991年にラ・デファンスに移転するまでコレクションの展覧会場に使用し、1984年から1993年まではフランス国立写真センターが、1988年から1995年まではLa Fémis(フランス国立映像音響芸術学院)が臨時に入居し、一時はシネマテーク・フランセーズも同居していた。

1999年、文化大臣カトリーヌ・トロットマン(Catherine Trautmann)は、パレ・ドー・トーキョー西翼に、現在進行中のフランスや世界の現代美術シーンを紹介するための現代美術センターを設立することを決定し、2002年1月22日開館した。

パレ・ドー・トーキョー現代美術サイトは50%を文化省が出資し、その他の資金は寄付、スポンサー、入場料などから集められている。現在は12時から24時まで開館し、複数の展示室で様々な展覧会を開催している。年に20万人以上の観客を集め、パリおよびヨーロッパの先端的な美術の中心となっている。

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