フランス共和国臨時政府
フランス共和国臨時政府(フランス語:gouvernement provisoire de la République française、略記GPRF、本文中では以下、臨時政府と記す)は、1944年~1946年にかけてヴィシー政権崩壊からフランス第四共和政が成立するまで一時的にあった臨時政府。
1940年、ドイツ軍によるフランス侵攻の後、フィリップ・ペタンがヴィシー政権を樹立したものの、ノルマンディー上陸作戦、ファレーズ・ポケット、パリの解放の一連の軍事行動の中で、ヴィシー政権は瓦解した。シャルル・ド・ゴールの指揮下、臨時政府は司法権を掌握した。
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[編集] 政治体制
臨時政府は、フランス共産党、社会党(Section française de l'Internationale ouvrière (SFIO))、人民共和運動(Mouvement républicain populaire (MRP) )の三党連立政権となった。
なお、この三党連立政権は急進社会党やARDといった政党がヴィシー政権に参加していた(コラボラシオン)こともあり、1947年5月にポール・ラマディエ首相が共産党閣僚を更迭するまで続いた。
[編集] 政策
臨時政府は短期間の政権ではあったものの、臨時政府の政策は全国抵抗評議会(CNR)によって立案された労働法の制定に影響を残した。ド・ゴールが法律改正を認めたこともあり、フランスで初めて婦人参政権が付与されたこともあり、臨時政府は様々な労働法を議会で成立させていった。
臨時政府はヴィシー政権が憲法にのっとった政権ではないのでヴィシー政権が立てた諸法令は違法であると考え、それら諸法令すべてを無効とした。とはいえ、臨時政府は全ての諸法令を無効にすることは非現実的だと認識していたため、反ユダヤ法や、反秘密結社(フリーメイソンなど)に関する法律、特別裁判所を設立する法律が無効となった[1]。
民兵団やService d'ordre légionnaireといったコラボラシオンの民兵組織が解体された[1]。
また、臨時政府は地方政府を取りかえるために数段階の手段--1939年までに選ばれた議員の任期を延ばし、新たに選挙をすることを通して--を踏んだ[2]。
[編集] 国家元首一覧
- シャルル・ド・ゴール:1944年~1946年
- フェリックス・グーアン(fr) (SFIO):1946年
- ジョルジュ・ビドー(MRP):1946年
- レオン・ブルム(SFIO):1946年~1947年