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印象派

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
印象、日の出(Impression, soleil levant)

印象派(いんしょうは、仏:Impressionnistes)または印象主義(いんしょうしゅぎ、仏:Impressionnisme)は、19世紀後半のフランスに発し、ヨーロッパやアメリカのみならず日本にまで波及した美術及び芸術の一大運動である。1874年にパリで行われたグループ展を契機に、多くの画家がこれに賛同して広まった。また、「印象派」・「印象主義」の概念は、音楽の世界にも適用される。

目次

[編集] 概要

印象派とは、ヨーロッパの絵画界を中心とした大きな芸術運動である。19世紀末から20世紀初頭にかけて発生した。写実主義から抽象主義への変化の、初期段階であると考えられている。その後の芸術全般に大きな影響を与えている。

印象派の絵画はそれまでの写実主義の絵画に比べると、主題が強調される一方、写実性に乏しい。写実性に乏しいとは言うものの、抽象画と違って、何が描いてあるか分からないほどではない。それまでの写実主義の絵画と違い、色彩の鮮やかな作品が多く、人気の理由の一つになっている。

印象派の絵画は、現代でも最も人気の高い芸術ジャンルのひとつで、その作品は極めて高値で取引されることがある。

印象派の登場当初は、貴族や富豪らのパトロンを持たぬ画家の作品ということもあり、画壇での注目は低かったが、絵画市場や投機家によるもっぱら、経済絵画として扱われ始め、その後、世界の画壇を席捲するようにしている。

[編集] 歴史

マネ 草上の昼食(1862-63、オルセー美術館
ドガ 舞台の踊り子(1878、オルセー美術館

[編集] 時代背景

肖像画写実主義

19世紀頃のヨーロッパでは肖像画を描くことが一つのステイタスであった。肖像画では、対象を正確に描写することが重要で、遠近法などの技法が工夫された。肖像画は大きな需要があったため産業として確立し、学校も多く設立され、技術さえ学べればそこそこの絵が描けるようになっていた。肖像画と言っても顔だけではなく、服装や背景の調度品なども、対象人物の地位を表すものとして重要だった。そのため、それらの物を正確に描く技術も発達した。これらの人物や物を正確に描く絵画のことを写実主義という。

絵具の発達

肖像画が産業として確立するにつれ、画材道具が改良されていった。特に1840年に発明されたチューブ入り絵具によって、画家たちは絵具を作成する作業から解放された。絵具の作成は画家にとって重要な技術の一つであり、その技術は画家の個性の一つであった。良い画家とは、良い絵具を作る職人でもあったわけである。ところが、絵具がチューブに入れられて販売されるようになり、この点で画家の技量の差が出にくくなった。誰でもきれいな色を表現できるようになったのである。画家の没個性化が進むこととなった。

バルビゾン派

画材道具の発達に伴って、屋外で絵を描くことが可能になった。しかし屋外は部屋の中と違って、日差しが刻々と傾き、天候が変化したりするので、室内のように同じ条件下でゆっくり絵を描くというわけには行かない。細部を省略し、すばやく絵を描く技法が生まれた。この頃の屋外を多く書いた画家たちはバルビゾン派などと呼ばれる。

写真の発明

絵具が発達し、絵画の教育システムが確立し、絵画が産業化していく一方で、1827年に写真が発明される。写真は瞬く間に改良されて、肖像写真として利用されるようになる。 正確に描写するだけなら、絵画より写真の方がはるかに正確で安価で納期が早い。写真が普及し始めると画家たちが職にあぶれるようになった。 また、瞬間をとらえた写真の映像は、当時の人々にとって全く新しい視覚であり、新たなインスピレーションを画家たちに与えることになった。

[編集] 第1回印象派展

エドゥアール・マネ

1860年代、エドゥアール・マネが一般の女性をそのまま裸婦として描いた作品を発表した。当時の裸婦像は神話や聖書のエピソードとして描くのが普通で、マネの裸婦の絵画は激しい反発を受ける。ところが、当時アカデミズムと呼ばれる主流派に対して反感を持つ若い芸術家が多く、マネに同調する芸術家が少なくなかった。マネに同調する芸術家たちはパリのカフェに集まり、前衛的な芸術論を語り始めるようになった。

ジャポニスム

多くの画家が表現方法を模索する中、1867年パリ万国博覧会が行われる。これには日本の幕府薩摩藩佐賀藩が万博に出展し、日本の工芸品の珍奇な表現方法が大いに人気を集めた。次の1878年パリ万博のときには既にジャポニスムは一大ムーブメントになっていた。日本画の自由な平面構成による空間表現や、浮世絵の鮮やかな色使いは当時の画家に強烈なインスピレーションを与えた。そして何よりも、絵画は写実的でなければならない、とする制約から画家たちを開放させる大きな後押しとなった。

第1回印象派展の開催

1874年モネドガルノワールセザンヌピサロモリゾギヨマンシスレーらが私的に開催した展示会は、後に第1回印象派展と呼ばれるようになる。当時この展示会は社会に全く受け入れられず、印象派の名前はこのときモネが発表した『印象、日の出(Impression, soleil levant)』から、新聞記者が「なるほど印象的にヘタクソだ」と揶揄してつけたものである。このときを印象派の成立としているが、これ以前にもウィリアム・ターナー(イギリス)の様に印象派に通じる画風や、バルビゾン派など屋外の風景を多く描いた印象派前夜と呼び得る画家達も存在している。また、後にはスーラゴッホポール・ゴーギャンなどのポスト印象派新印象派へと続くものとなった。

写真の発明による肖像画産業の低迷と、「見た感じ」の面白さに気付いたヨーロッパの画家たちは、写実主義から離脱し、絵画独特の表現方法を探索し始めた。 そのような中で、細部やタッチにこだわらず、新たな空間表現と明るい色使いを多用した印象主義が発生した。

それまで、どちらかと言えば暗く重苦しい絵画が多かったヨーロッパで、明るい印象派の絵画は主流と言えるほどに流行った。この運動以降の絵画は写実主義から開放され、芸術性やメッセージ性のより強いものに変化し、キュビズムシュールレアリスムなどのヨーロッパにおけるさまざまな芸術運動が生まれる契機となった。

[編集] 美術

[編集] 印象派絵画の技法

印象派絵画の大きな特徴は、光の動き、変化の質感をいかに絵画で表現するかに重きを置いていることである。時にはある瞬間の変化を強調して表現することもあった。それまでの絵画と比べて絵全体が明るく、色彩に富んでいる。また当時主流だった写実主義などの細かいタッチと異なり、荒々しい筆致が多く、絵画中に明確な線が見られないことも大きな特徴である。また、それまでの画家たちが主にアトリエの中で絵を描いていたのとは対照的に、好んで屋外に出かけて絵を描いた。

[編集] 印象派画家の一覧

以下の表は主な印象派の画家の一覧である。印象派展出品回の項目が空白になっているのは、その画家が一度も印象派展に出品しなかった事を示す。文献によって印象派の画家の分類が異なっているため、印象派と時期が前後している写実主義バルビゾン派ポスト印象派新印象派の項目も参照されたい。

画家 生年 没年 印象派展出品回 備考
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー 1796年 1875年 活動時期が他の印象派の画家よりも早いため、写実主義(バルビゾン派)の画家とされる事が多い。
カミーユ・ピサロ 1830年 1903年 1~8(全回) 印象主義から離れ点描技法を用いていた時期があるため、新印象派の画家とされる事もある。
エドゥアール・マネ 1832年 1883年 印象派とは密接な関係にあるが、芸術運動としての印象派とは一線を画して活動していたため、印象派の画家ではないとする見方もある。
エドガー・ドガ 1834年 1917年 1~6、8 他の印象派の画家とは異なり、古典的手法を重視していた。
アルフレッド・シスレー 1839年 1899年 1~3、7
ポール・セザンヌ 1839年 1906年 1、3 ポスト印象派の画家とされる事も多い。
クロード・モネ 1840年 1926年 1~4、7
ベルト・モリゾ 1841年 1895年 1~3、5~8
ピエール=オーギュスト・ルノワール 1841年 1919年 1~3、7 稀にポスト印象派の画家とされる事がある。
アルマン・ギヨマン 1841年 1927年 1、3、5~8
メアリー・カサット 1844年 1926年 4~6、8
ギュスターヴ・カイユボット 1848年 1894年 2~5、7
ポール・ゴーギャン 1848年 1903年 5~8 ポスト印象派の画家とされる事も多い。
エヴァ・ゴンザレス 1849年 1883年
フィンセント・ファン・ゴッホ 1853年 1890年 ポスト印象派の画家とされる事も多い。

[編集] 音楽

詳細は「印象主義音楽」を参照

音楽史論では、19世紀末から20世紀初頭にかけての、ドビュッシーラヴェルといった作曲家たちの音楽を「印象派」とすることが多い。

それまでにワーグナーリストによって展開されていた機能和声の崩壊を推し進め、また形式を崩し構造を断片化し、一方で全音音階教会旋法五音音階の多用による旋法性を基盤に、新たな音楽の確立を目指し、20世紀以降の音楽に多大な影響を与えた。対位法の欠如といった属性も特徴である。

しかし近年では、音楽という自然主義と相容れない芸術における「印象主義」の語の曖昧さが指摘されている。さらに代表的な「印象主義音楽」作曲家とされるドビュッシー自身が象徴主義思潮に強く影響を受けていたことより、むしろ象徴主義の流れで世紀末芸術の文脈の中で位置づけられるようになっている。内面の表現を志向する象徴主義は、外界を描写する印象主義とは相反する芸術態度である。なお、ドビュッシー自身は「印象主義」という範疇化を嫌悪しており、まして印象主義作曲家を自称したことは無い。

[編集] 印象派の作曲家

以下の作曲家の作品全てに「印象派」の分類が当てはまるわけではなく、むしろ一部作品の傾向にとどまっている者の方が多い。

[編集] 参考文献

【1990年代以降の小著・入門書】
※同双書ではルノワールセザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンなどがある。
※1.にマルモッタン美術館ほか、6.にオルセー美術館(全10冊)。
モネルノワールシスレー、ピサロを扱う。
スーラゴッホゴーギャンモロールドンを扱う。  
 各高階秀爾監修 日本放送出版協会 1990年
【1980年代後半以降の大著・原典】

[編集] 関連項目

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