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自由フランス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
自由フランス旗

自由フランスFrance libre)は、第二次世界大戦中にナチス政権下のドイツによるフランス占領に反対して戦った抵抗運動(レジスタンス)である。

目次

[編集] 概要

[編集] 成り立ち

1940年ドイツの侵攻によるパリ陥落後、イギリスロンドン亡命したシャルル・ド・ゴール将軍は、1940年6月18日にイギリスのBBC放送を通じて歴史的な演説を行い、国内外のフランス人に対独抵抗運動を呼びかけた。同年6月28日に、ウィンストン・チャーチル首相率いるイギリス政府は、コミュニケを発表して承認した。

[編集] 植民地の対応

チュニジアにて指揮を執るド・ゴール

これに呼応して1940年の秋にはカメルーン仏領赤道アフリカなどのフランスの植民地がド・ゴールの下に結集し、後にニューカレドニア、仏領ポリネシアニューヘブリデス諸島サンピエール島・ミクロン島なども参加した。

ただアルジェリア、仏領西アフリカセネガルなど)、マダガスカルマルティニクグアドループ仏領ギアナシリアレバノンなどは親独的なフィリップ・ペタン率いるヴィシー政権の影響下に留まり、ヴィシー政権(とドイツ政府の)の黙認の下1940年に日本軍が進駐した仏領インドシナも同様であった。

[編集] 他国の対応

このためアメリカ合衆国中華民国などの他の連合国の一部は、イギリスとは異なり自由フランスを「正当なフランス政府」としては承認せず、当初はヴィシー政権を正当な「フランス政府」として承認した。なお、日本イタリア満州国などのドイツと同盟関係にある枢軸国は、ヴィシー政権を承認した。

しかしフランス国内では、ヴィシー政権が次第に親ドイツ性を強めて行くにつれヴィシー政権を黙認するものが減り、反ドイツのレジスタンス運動が活発化していく事となる。その結果自由フランスを承認していなかった他の連合国も自由フランスを承認し、さらに1941年12月に第二次世界大戦に参戦しドイツと戦争状態に置かれたアメリカも、その後まもなくヴィシー政権と断交し自由フランスを承認した。

[編集] 活動

アメリカから貸与されたマーチンB-26B爆撃機

自由フランスはフランス国内のフランス人に対独レジスタンスを呼びかけ、諜報作戦を行う一方、武装組織である自由フランス軍(Forces Françaises Libres)を有して、イギリスやアメリカからの軍事物資の支援を受けて北アフリカシリアなどで連合軍の作戦に参加した。

その勢力は、イギリスなど国外へ亡命したものを中心に当初8,000人程度に過ぎなかったが、次第に膨れ上がり、1944年には40万人に達した。また、アルゼンチンウルグアイなどからの亡命者を中心とした義勇軍も参加した。

同年のノルマンディー上陸作戦には、他の連合国軍とともにフィリップ・ルクレール将軍指揮下の自由フランス第2機甲師団が参加し、パリ一番乗りを飾った。

パリ解放後の1944年9月にパリで「フランス臨時政府」が成立し、ド・ゴールが臨時政府首相に就任したことによって、自由フランスは発展的に解消した。

[編集] シンボル

自由フランスのシンボルは「ロレーヌ十字」で、旗として使用されただけでなく、ペンダントや指輪にデザインされ秘密の会合の際の目印として使われもした。

[編集] 関連項目

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